「エンタープライズセールス」とは、大規模企業を相手にした営業活動を指し、取引金額の大きさや導入プロセスの複雑さが特徴です。単なる「企業向け」という枠を超え、組織力やリサーチ力、長期的な交渉術が求められるため、一人の営業パーソンの腕だけではカバーしきれない場面も数多く登場します。
ここでは、エンタープライズセールスに挑むうえで意識したい主要なポイントを、7つのステップに分けて整理しました。各ステップで起こりがちな問題や、進め方のヒントを押さえれば、大きな案件に振り回されずに“攻め”と“守り”を両立させやすくなるでしょう。

エンタープライズセールスならではの特性
大規模組織を“攻略”するうえでの前提
エンタープライズセールスの大きな特徴は、取引先となる企業が複数の部門・レイヤーを持ち、最終的な意思決定に多くの人が関わる点にあります。
たとえば、現場担当者と話は弾んでも、上層部が導入を渋って決裁が下りない、あるいは財務部門がコスト削減を最優先にしていて価格交渉が延々と続く、などのシナリオは珍しくありません。また、競合他社も同時に提案していることが多く、一度のプレゼンで“勝ち”を確定できるケースは少ないものです。
こうした環境では、「小さなアポが取れればOK」という世界観を捨て、長期スパンで案件を管理し、社内外のステークホルダー全員を見据えたアプローチが必須となります。
大きな契約規模と長期フォローの魅力
大手企業との契約が成立すると、その規模や継続性から非常に大きな売上に繋がる可能性があります。システムやソフトウェア導入であれば、追加ライセンスや別部署への導入拡張も期待できるでしょう。加えて、大企業が成功事例として自社名を挙げてくれると、対外的な信頼性を得やすくなるメリットもあります。

反面、導入に失敗すると企業イメージやサポートコスト面で大きな痛手を負うリスクがあります。エンタープライズセールスは、リスクとリターンが共存する、まさに“ハイリスク・ハイリターン”な営業活動と言えるでしょう。
徹底的なリサーチでスタートを切る
情報を収集しきる姿勢が差を生む
大企業は上場しているケースが多いため、IR情報や決算資料、業界ニュース、トップマネジメントのインタビュー記事など、公開情報が豊富に存在します。また、SNSやプレスリリース、社員の発信するブログ記事などを追うことで、社内トレンドや人事異動の動きを掴むことができます。これらの情報をどこまで収集・分析するかが、エンタープライズセールスの成否を大きく左右するのです。
中小向け営業のように「担当者と話してパッと契約」という流れは望みにくいため、事前に企業の経営課題や強み・弱みを把握し、相手が「ここを支援してほしい」と思うポイントに合わせた提案準備を進めることが必要になります。
内部構造とキーマンのマッピング
企業規模が大きいほど、部門同士の調整や稟議フローが複雑化する傾向があります。たとえば、「まずIT部門がテクニカル評価をする」「財務部が投資対効果をチェックする」「現場部門が運用性を評価する」といった複数ステップを経て、最終的に経営層がGOサインを出すといった流れが想定されます。
ここで誰がキーマンなのか分からないまま進めると、後半になって「実はこの部長が強い反対権を持っていた」など、初期段階で対策できたはずの要因で失注するケースも起こりがちです。リサーチ段階で、意思決定に関わる可能性のある部門・役職をリストアップし、“どのような立場で自社の導入を評価するか”を想定しておくと、その後のアプローチが格段にスムーズになります。
アカウントベースドセリング(ABS)という戦略
一社一社に焦点を当て、専門チームで動く
エンタープライズセールスでは、“アカウントベースドセリング(ABS)”の手法が注目されています。

これは、特定の大企業(アカウント)ごとにチームを編成し、その企業に合わせて営業・マーケティング・サポートなどが連携しながら戦略を練るアプローチです。一社に対して掛けるリソースは増えますが、その分大きな成果が見込めるため、業界リーダー企業や優良顧客を集中攻撃する際に大きな効果を発揮します。
従来の大量アプローチ型営業(数を当たって確率論で勝つ)とは異なり、“一社に相当深く入り込む”形になるため、リサーチやヒアリング、社内キーマンとの関係構築など、より高密度なコミュニケーションが必要となります。
ABSとマーケティング連携
アカウントベースドセリングは、マーケティングとも強く結びつけることで威力が倍増します。たとえば、特定企業向けにカスタマイズしたホワイトペーパーや、特定業界向けのセミナーを開催し、そこにターゲット企業を招待する形で接点を生むのです。
こうしたイベントやコンテンツが“ピンポイントで刺さる”状態を作るには、事前に相手企業のニーズや課題を把握している必要がありますが、それが実現すれば、商談入りする段階で相手の興味度が相当高まっている可能性が高くなります。これが“効率的な大規模商談”を生む鍵です。
長期的な案件管理とフェーズ分け
商談が長期化する要因と対策
大手企業の案件は、数か月〜1年以上かかることが珍しくありません。
稟議に時間がかかるのはもちろんですが、システム導入なら試験運用やセキュリティ監査などが挟まるケースもあり、スケジュールが後ろ倒しになりやすいです。

ここでのポイントは長期スパンを前提にし、フェーズごとの目標や必要アクションを明確化しておくこと。たとえば「次の四半期で、部門長クラスの承認を得る」「年内に経営層へのデモを実施する」といったマイルストーンを設定し、案件がどこまで進んでいるかを可視化します。これにより、タスク漏れや停滞を早期に発見しやすくなるでしょう。
案件評価フレームワークの活用
エンタープライズ案件では、「今どこまで進んでいる?」「本当に成約可能性は高い?」という評価が曖昧になりがちです。そこで、BANT(Budget / Authority / Need / Timeline)やMEDDIC(Metrics / Economic Buyer / Decision Criteria / Decision Process / Identify Pain / Champion)といった評価フレームワークを使うと、見込み度合いを客観的に判断しやすくなります。
顧客の測定指標(Metric)、決裁者(Economic Buyer)、選定基準(Decision Criteria)、意思決定プロセス(Decision Process)、顧客の深刻な課題(Identify Pain)、社内の推進者(Champion)という6つの視点から案件を分析・管理するフレームワークです。
この手法を用いることで、営業担当者は「誰に・何を・なぜ・どうやって」提案すべきかを明確にし、感覚や属人的な判断に頼らず、論理的かつ再現性の高い営業活動を行うことができます。結果として、失注リスクの早期把握、商談のスピードアップ、営業組織全体の底上げといった効果が期待できます。
たとえば、MEDDICを使えば「経済的な買い手は誰か」「決裁プロセスは明確か」などをチェックリスト化し、事実ベースで“まだ何が足りないか”を洗い出せるため、あやふやな期待値だけで案件を追いかけるリスクを下げられます。
BANTフレームワークはこちらの記事で詳しく解説しています。
ステークホルダーとの関係構築
大企業内のパワーバランスとキーマン
大手企業の組織は、トップダウンで決まる場合もあれば、ボトムアップの提案で稟議が通るケースもあるなど、一筋縄ではいきません。各部門のミドルマネジメントが強い権限を持っていることもあるため、早めに“どの部署の誰が、どのような役割を果たしているか”を知る必要があります。
もし「現場は大賛成だが、財務部がコスト削減を最重視している」という状況なら、財務部に対してROI(投資回収率)の説得材料を早めに準備しておくといった対策を取るべきでしょう。相手組織内のパワーバランスを読まずに提案すると、最終段階で予想外の反対者が現れ、すべてが白紙に戻る恐れがあります。
チャンピオンとの二人三脚

エンタープライズセールスが大きく動くきっかけは、社内で影響力を持つ“チャンピオン”の存在です。このチャンピオンは自社の製品やサービスに好意的で、内部で導入を推進してくれる人。
たとえば現場責任者や、変革意欲の高い管理職がそうなることが多いですが、チャンピオンを見つけるだけでなくどう育てるかが大切です。
社内説得用の資料を一緒に作り込んだり、成功事例を分かりやすくまとめて渡したりと、“導入に前向きな人が社内を説得しやすい環境”を外部からサポートすることで、実際に導入までこぎつけやすくなります。
提案・交渉・クロージングのポイント
大規模導入だからこその提案作成
大手企業からRFP(提案依頼書)が発行される場合、回答書のボリュームや厳密さが求められます。仕様要件や法規対応、契約条件などに抜け漏れがあると、相手は「このベンダーは大手案件に慣れていないのでは?」と不安を抱くことになりかねません。専任のプロジェクトチームを組み、テクニカル面・法務面・経営面の視点を織り交ぜつつ、整合性のある提案書を仕上げることが重要です。
最終交渉と納得を得るプロセス
交渉フェーズでは、価格・導入スケジュール・サポート範囲などが焦点になります。相手企業側も複数ベンダーを比較していることが多いため、「どのような差別化ポイントを打ち出すか」が鍵を握ります。
また、決裁権を持つ役員などの時間は限られているので、短時間で「導入すべき理由」と「導入後のリスク対処」をセットで説明できる資料を整えるなど、相手が納得しやすい環境を作る必要があります。商談の結論が出る段階まで、決して自分たちだけで固めず、相手とすり合わせ続ける姿勢が大切です。
契約後のアフターサポートとリレーション維持
導入後こそ本番:運用支援と追加展開
大手企業は一度導入を始めると、利用範囲が徐々に拡大していく可能性があります。
たとえば、最初は一部門だけの導入でも、成功事例が社内で共有されると他の部門でも興味が高まる、といった形です。ここで効果を最大化するには、万全のアフターサポートが欠かせません。運用トラブル時の迅速対応や追加要望の吸い上げを丁寧に行うほど、追加発注やアップセルが狙いやすくなります。
長期パートナーとして信頼を築く
大企業向けの契約は、初期導入だけでなく長期的な関係性が大きな価値を持ちます。数年後に社内システムを刷新する際や、新事業部が立ち上がるタイミングで「前回うまくやってくれたから、今回も頼むよ」と声がかかるケースも多いのです。
そのため、契約後も定期的に状況確認を行い、「こんな新機能が追加されましたが、お困りごとはありませんか?」といったコミュニケーションを欠かさないことが肝心。こうした継続フォローが、“組織として動く大手企業”を長い目で支える基盤となります。
まとめ:エンタープライズセールスで組織力を発揮する
エンタープライズセールスは、その規模や複雑さから一筋縄ではいかない面がある一方で、大きな成功報酬と長期的な関係構築が見込める魅力にあふれています。大企業向けの営業を成功させるためには、徹底したリサーチ、アカウントベースのアプローチ、長期的な案件管理、そして契約後のフォローアップまで、社内外のステークホルダーを巻き込みながら動く必要があります。
“個人の腕”だけで全行程をカバーできるほど甘くはなく、組織的・戦略的に情報を共有し、リソースを集中投下するスタイルが成果を出しやすいのがエンタープライズセールスの特徴です。
もし、自社が大手企業への営業展開を考えているなら、ぜひ本稿で紹介したステップや視点を取り入れ、より強固な体制を整えてみてください。大きな案件ほど、成功したときのインパクトは計り知れませんし、企業規模が大きいからこそ生まれる付随的なビジネスチャンスも期待できます。組織力を最大限に発揮し、長く安定したパートナーシップを築いていきましょう。